こんにちは、hiroです。
今回の【プラチナファミリー&火曜の良純孝太郎 合体SP】に、民家で2番目に国宝になった京都のからくり屋敷が登場します。
2番目に・・・と言われると、じゃあ最初に国宝になったのはどんな家?ってなりますよね。
気になったので調べてみました!
民家で2番目に国宝に!京都のからくり屋敷
今回の【プラチナファミリー&火曜の良純孝太郎 合体SP】に登場するのは、京都・二条城の近くにある「二條陣屋」というお屋敷です。
現存するお屋敷は、天明8年(1788年)の大火で全焼してしまい、嘉永年間(1848~1854年)に再建されています。
「二條陣屋」の創建は、江戸時代寛文年間(1661~1673年)といわれ、今から約350年前になります。
「二條陣屋」は、小川家所有の住宅で、現在も家人が居住しているとのこと。
先祖は、大和国吉野郡小川郷(奈良県吉野郡東吉野村)の領主小川氏です。
記録によると、天保11年(1840年)以後、米・両替商「萬屋平右衛門(よろずやへいもん)」の屋敷という風に書かれています。。
萬屋平右衛門の萬屋は屋号であって、商人が苗字を名乗ることは特別の場合を除き、許されていませんでした。
米・両替商とは、武士の俸禄である現物の米を貨幣に交換したり、関東で流通した金(小判)と関西で流通した銀(丁銀)を交換したりする店を言います。
今でいう銀行のような役割ですかね。
米・両替商は、一定の財産があって初めてできる商売です。
萬屋平右衛門は当初、公事師としてその財を蓄えたと伝えられているそうで、公事とは訴訟のことで、公事師とはおおむね今の弁護士にあたります。
しかし、裁判はすぐに始まるとは限らず、判決が出るまでにも時間がかかります。
裁判待ちの訴訟人は公事師の屋敷に逗留するようになり、公事宿と呼ばれるようになりました。
「二條陣屋」がなぜからくり屋敷になったのか・・・それは、公事宿の顧客は裁判のため上洛しており、中には身の危険を感じる者もいて、奇襲に備えて用心しなければならず、護衛が常に見張っている状態でした。
来訪者が不審な動きをすれば、すぐに顧客をかばい逃がさねばならないため、色んな仕掛けが隠されていた、というわけです。
それはお風呂にも徹底されていて、お風呂で襲われた時のために出入口が2カ所あるとのこと。それにしても、お風呂の時襲われるのはイヤですね~!!
ちなみに、民家で2番目に国宝になった、ということですが、それは旧国宝(戦前の制度)の時代の事で、今は「重要文化財」なんだそうです。
じゃあ最初に国宝になったのは?と調べてみたんですが、民家としての登録はなく、城郭建築としては1930年(昭和5年)にはじめて指定された名古屋城です。徳川家康が天下統一の拠点として築いたお城ですね。

では、新国宝(現行制度の国宝)になってからの第1号はというと、京都府にある広隆寺という聖徳太子ゆかりのお寺の一つに、弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)という仏像があり、こちらが昭和26年6月に国宝第1号に指定されました。
新国宝で初めて、民家の国宝が登録される!
つい最近のお話ですが、兵庫県神戸市北区 箱木家住宅 主屋(通称「箱木千年家」)と、兵庫県姫路市安富町 旧古井家住宅が国宝に指定される見通しだと発表されました。
どちらも室町時代の古い民家で、「民家としては全国初の国宝指定」となりました。
箱木家住宅は、現在はダム建設に伴い移築された場所で保存公開されており、中世日本の暮らしと建築文化を今に伝える、奇跡的な存在となっています。

旧古井家住宅は、かつては室町時代後期の建築と考えられていましたが、近年の放射性炭素年代測定によって、なんと南北朝時代の14世紀頃まで遡ることが判明しました。そんなにも古い建物が現在も残っていることに驚きが隠せません・・・。
いずれも昭和期まで住居として使用されていたそうですが、今は土日に一般公開されていて、当時の暮らしを見学することができるそうです。
でも、全国各地にある重要文化財に指定されている民家には、実際に住んでいる人も少なくないようですよ。
まとめ
今回は、京都のからくり屋敷「二條陣屋」と、新国宝制度になってからはじめて、民家として国宝に登録される、箱木家住宅 主屋と旧古井家住宅の2軒を紹介をしました。
私は何気に歴史好きなので、こういう古いお家や文化財にはすごく興味があります。
日本の誇る大事な文化財は、今後も大切に守っていきたいですね。


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